謝罪論 謝るとは何をすることなのか
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著者:古田徹也
発行元:柏書房
304ページ
188mm × 128mm ソフトカバー
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出版社紹介文より
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親はある時期から、悪さをした子どもを叱る際、そういうときは「ごめんなさい」と言うんだ、と教え始める。すると、子どもはやがて、「ごめんなさい」と言うことはできるようになる。けれども今度は、場を取り繕おうと「ごめんなさい、ごめんなさい……」と言い続けたり、「もう『ごめんなさい』と言ったよ!」と逆ギレをし始めたりする。
「違う違う! ただ『ごめんなさい』と言えばいいってもんじゃないんだよ」――そう言った後の説明が本当に難しい。「すみません」で済むときもあるが、それでは済まないときも往々にしてあるからだ。「すみません」といった言葉を発したり、頭を下げたりするだけでは駄目なのだとしたら、何をすれば謝ったことになるのだろうか。声や態度に表すだけではなく、ちゃんと申し訳ないと思い、責任を感じることだろうか。しかし、「申し訳ないと思う」とか「責任を感じる」とはどういうことなのだろうか。そして、そのような思いや感覚を相手に伝えるだけで、果たして良いのだろうか。結局のところ、「謝る」とは何をすることなのだろうか?
本書では、満員電車のなかで意図せず他人の足を踏んでしまったときの謝罪から、強盗の加害者による被害者への謝罪、さらには、差別的言動や医療過誤、戦後責任などをめぐる謝罪に至るまで、多様な事例を具体的に取り上げながら、「責任」「後悔」「償い」「赦し」「当事者」「誠実さ」といった、謝罪をとりまく重要な概念同士の関係を丹念に解き明かしていく。そして、謝罪という行為の全体像を描き取ることを通して、「謝るとは何をすることなのか」という問いに対する十全な回答を提供する。
【目次】
プロローグ
第1章 謝罪の分析の足場をつくる
第1節 〈軽い謝罪〉と〈重い謝罪〉――J. L. オースティンの議論をめぐって
第2節 マナーから〈軽い謝罪〉、そして〈重い謝罪〉へ――和辻哲郎の議論をめぐって
第3節 謝罪にまつわる言葉の文化間比較
第2章 〈重い謝罪〉の典型的な役割を分析する
第1節 責任、償い、人間関係の修復――「花瓶事例」をめぐって
第2節 被害者の精神的な損害の修復――「強盗事例」をめぐって①
第3節 社会の修復、加害者の修復――「強盗事例」をめぐって②
第3章 謝罪の諸側面に分け入る
第1節 謝罪を定義する試みとその限界
第2節 謝罪の「非本質的」かつ重要な諸特徴
第3節 誠実さの要請と、謝罪をめぐる懐疑論
第4章 謝罪の全体像に到達する
第1節 非典型的な謝罪は何を意味しうるのか
第2節 謝罪とは誰が誰に対して行うことなのか
第3節 マニュアル化の何が問題なのか――「Sorry Works! 運動」をめぐって
エピローグ
註
文献表
あとがき
索引
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