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〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー ヤンキーの生活世界を描き出す
¥2,640
著者:知念渉 発行年:青弓社 276ページ 188mm × 128mm ソフトカバー *********************** 出版社紹介文より *********************** ヤンキーは何を考え、どのようにして大人になるのか――。 高校で〈ヤンチャな子ら〉と3年間をともに過ごし、高校を中退/卒業してからも継続して話を聞いて、集団の内部の亀裂や、地域・学校・家族との軋轢、社会関係を駆使して生き抜く実際の姿を照らす。 【目次】 序 章 〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィーに向けて 1 巷にあふれる「ヤンキー語り」と調査の不在 2 〈ヤンチャな子ら〉を調査・研究する意義 3 本書の目的と独自性 4 調査の概要 5 本書の構成 第1章 ヤンキーはどのように語られてきたのか 1 若者文化としてのヤンキー 2 生徒文化としてのヤンキー 3 階層文化としてのヤンキー 4 これまでのヤンキー研究の課題 5 分析の方針 第2章 〈ヤンチャな子ら〉の学校経験――教師との関係に着目して 1 〈ヤンチャな子ら〉と教師の対立? 2 学校文化の三つのレベル 3 家庭の文化と学校文化の葛藤 4 〈ヤンチャな子ら〉と教師の相互交渉 5 教師への肯定的評価と学校からの離脱 6 〈ヤンチャな子ら〉と「現場の教授学」 第3章 〈ヤンチャな子ら〉とは誰か――〈インキャラ〉という言葉に着目して 1 集団の曖昧さ 2 類型論的アプローチを超えて 3 〈インキャラ〉という解釈枠組み 4 文脈のなかの〈インキャラ〉 5 〈インキャラ〉という解釈枠組みのゆらぎ? 6 集団の内部の階層性 第4章 「貧困家族であること」のリアリティ 1 「子ども・若者の貧困」研究における本章の位置づけ 2 「記述の実践としての家族」という視点 3 記述の実践としての「貧困家族」 4 アイデンティティとしての家族経験 第5章 学校から労働市場へ 1 〈ヤンチャな子ら〉の仕事への移行経路 2 〈ヤンチャな子ら〉の移行経験――六人の語りから 3 移行経路と社会的ネットワーク 終 章 〈ヤンチャな子ら〉の移行過程からみえてきたこと 1 〈ヤンチャな子ら〉集団内部にある「社会的亀裂」 2 重層的な力学のなかにヤンキーを位置づけた意義 3 「ヤンキー」と括られる人々の内部に目を向けることの重要性 4 アンダークラスとしてカテゴリー化することの危険性 5 〈貧困の文化〉か、〈社会的孤立〉か 6 社会関係の編み直しに向けて 巻末資料 参考文献 初出一覧 あとがき
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断片的なものの社会学
¥1,716
著者:岸政彦 発行元:朝日出版社 244ぺージ 188mm × 128mm ソフトカバー *********************** 出版社紹介文より *********************** 路上のギター弾き、夜の仕事、元ヤクザ…… 人の語りを聞くということは、ある人生のなかに入っていくということ。 社会学者が実際に出会った「解釈できない出来事」をめぐるエッセイ。 ◆「この本は何も教えてはくれない。 ただ深く豊かに惑うだけだ。 そしてずっと、黙ってそばにいてくれる。 小石や犬のように。 私はこの本を必要としている。」 一生に一度はこういう本を書いてみたいと感じるような書でした。 ランダムに何度でも読み返す本となりそうです。 ――星野智幸さん どんな人でもいろいろな「語り」をその内側に持っていて、 その平凡さや普通さ、その「何事もなさ」に触れるだけで、 胸をかきむしられるような気持ちになる。梅田の繁華街で すれちがう厖大な数の人びとが、それぞれに「何事もない、普通の」 物語を生きている。 * * * 小石も、ブログも、犬の死も、すぐに私の解釈や理解をすり抜けてしまう。 それらはただそこにある。[…]社会学者としては失格かもしれないが、 いつかそうした「分析できないもの」ばかりを集めた本を書きたいと思っていた。(本文より) 【目次】 イントロダクション──分析されざるものたち 人生は、断片的なものが集まってできている 誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない 土偶と植木鉢 物語の外から 路上のカーネギーホール 出ていくことと帰ること 笑いと自由 手のひらのスイッチ 他人の手 ユッカに流れる時間 夜行バスの電話 普通であることへの意志 祝祭とためらい 自分を差し出す 海の向こうから 時計を捨て、犬と約束する 物語の欠片 あとがき *********************** 店主コメント *********************** この本を読んでいると、多様性という概念ですら限られたカテゴリー分類の上に成り立っているように思えます。そして、社会において照射され目に見えている面は本当にごく一部なのでしょう。 SNSによって膨大な生活の断片に触れることができるけれど、私たちの知らない日常が星の数ほどある。 著者が社会学者として分析することができなかったエピソードが断片的に語られている本書はとても読み応えがあります。